足の神様としてご崇敬を集めている大阪府豊中市に鎮座する服部天神宮。「服部」という地名は、この辺りに朝鮮より機織の技術を伝えた秦氏が機織部(はたおりべ)として住んでいたことから、機織り(はたおり)から服部(はっとり)に変化し、成り立ったものと思われます。
当時秦氏は、医薬の祖神「少彦名命」を尊崇していましたので、この地にも小さい祠を建て、お祀りしていました。秦氏が移り住んでから数百年が過ぎ、延喜元年(西暦901年)に、菅原道真公が京都から左遷され九州の大宰府へ向かう途中、持病の脚気に悩まされ足がむくみ歩くことができなくなりました。村人たちは、少彦名命をお祀りする祠で足病平癒を祈願することを菅公にお勧めされました。
菅公が祠へお参りされますと、境内近くの路端にある五輪塔が目にとまりました。そして、その五輪塔が百年程前に、大宰府へ左遷される途中、病に臥され、この地でお亡くなりになられた藤原魚名公のお墓であることをお知りになった菅公は、「昨日は他人の身、今日は吾が身にふりかかる定めか」と嘆ぜられ、祠でご自身の足病平癒を祈願されると共に、魚名公のお御霊もねんごろに弔われました。すると、不思議にも間もなく菅原道真公の足の痛みは治まり、無事大宰府へご到着されました。
菅原道真公が大宰府にて清らかなご生涯を閉じられた後、菅公のお神霊を合祀し、服部天神宮としてご社殿を造営致しました。菅公足病平癒の霊験あらたかな神社と聞いた全国よりの参詣人と、また当地が能勢街道の要所であったこととで、次第に門前市をなすようになり、殊に江戸時代の中期から末期にかけては、その最盛期であり、境内外は非常な賑わいをみせたのでした。足の神様のご崇敬は絶え間なく続き、足の病にお悩みの皆さま、スポーツに励む皆さまが、全国各地よりご参拝されております。